桃尻テレクラ娘に顔射して精液のマチエールを眺める

即アポに成功したテレクラ女性が欲情をそそるピンクの下着姿になり、彼女の「おしり」のみずみずしい弾力に実際に触れ、また、その「弾み方」を目視することにもなったとき、ツーショットダイヤル中に、姿が見えない状態ながら、私の胸をときめかせることになった彼女の「声」の質感の持つ途方もないきらめき、みずみずしいあの「弾力」と一挙に繋がりを持つことになったのだ。
声の弾力、肉の弾力、性の弾力、精神の弾力。彼女の身体のなかの核の部分はたえず振動を続け、彼女の生命そのものが生き生きと弾む「音」は決して止むことがない。
彼女のぷるぷると震える尻たぶ、丸みを帯びて微細に震えながらたゆたう「おしり」の光景は、彼女の内側から溢れでようとする途方もない生命力を表面張力でもって必死に押しとどめようとするようであったのだし、その運動と変化に満ちた乙女の球形の落ち着きのなさは、「輪郭線」というものがそもそも三次元空間には存在しないということを突きつけてくる。
それは、彼女の乳房においてもまた同様であった。彼女が身にまとっていた紅白ボーダーの服は、彼女の乳房をある「形」のなかに押し留めて、スキャニングするようにして「輪郭」を捏造していたのだが、いざ、その桃色のブラジャーの拘束から解き放たれてまろびだした途端に、彼女の乳房は「スキャニングされるようであったあの輪郭線の固定は錯覚でしかなかった」ということを、ぐにゃりと流動的に動き始めることによってやにわに主張しはじめるのだ。
ブラジャーから解き放たれた乳房を、彼女がみずからの右手でもって「さっさっ」と埃を払うような仕草をしたときの、彼女の乳房のわずかな振動がずっと忘れられないのであるし、その乳房の振動は、確かに、テレクラのツーショットダイヤルで耳にした、彼女の相槌や、息継ぎ、声が放たれる瞬間などの微細な擦過音などを想起させるに充分であった。
陰茎が蜜壺のなかで激しく抜き差しされると、お互いの肉体は「面」と「面」の衝突になり、いよいよその境目を区切る線がなくなっていくようであった。
ひとつに融解していくようであったセックスの終わりごろ、彼女の肉体の深部に精を放つべきか否かの激しい葛藤の末に、私は彼女の秘所から陰茎を抜いて彼女の顔面の上に射精するという選択をとることを決意したのだったが、そのとき、私の鈴口から発射された白い液体も、当然、輪郭を持たない流動体として宙を舞ったのだし、彼女の顔面の上で垂れ落ちる過程のなかでもその姿を変身させつづけていたのだ。